木彫分館:遼金時代の仏教造像

木彫分館:遼金時代の仏教造像

Wood Sculpture Gallery-Buddhist Sculpture: 10th to 13th Century
202 展示ホール

東北の遼王朝の属領に興り、その後を継承した金代は、中原の地と交流する過程に於いて、震旦(中国の古称)の文化を成熟させていきました。参観者は、この遼金造像の芸術から「遼は唐の風格を受け継ぎ、金は宋の芸術を受け継ぐ」という中原文化が浸透する軌跡を見ることができます。遼金造像は常に中原の基調の上にあり、草原を頻繁に往来しつつ薀蓄し、独特なラインと色彩による風采を作り出しました。

仏法が流伝する上で、遼王朝は唐代末期と五代十国間の情勢が不安定であった揚子江北部に仏法淨土を残しました。中国仏教はここに於いて、「僧ヲ安ンジ法帖ヲ立テ、燃灯シ慧命ヲ続ス」を得たのです。仏法華教義を尊崇した遼王朝は、勇壮で逞しい仏菩薩の姿を彫り出し、全体的により強健な感があります。その後、金代の造像は宋代造像の精巧さを受け継いだだけでなく、更に一歩進んで、遼代仏像の精緻さを表現し、一体一体を大きく美しい菩薩の姿に変化させました。

10~13世紀という長い流れを経て、遼金の彫造像と晩唐~宋代にかけての造像は、共に異なる地域に現れました。互いに継承発展し合った芸術の造詣は、互いに照り映え、中国仏教芸術絵巻の中で最も荘厳な経典となりました。

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