仏教の教義の真理を像形に託して民衆に伝播・流布する法

仏教の教義の真理を像形に託して民衆に伝播・流布する法

文/見諶法師

1. 前言

言葉を借用して民衆を仏の道へと手引きし、仏教への理解を深めさせられるなら、借用行為は価値があって正しい。同じ様に、制作者の持つ芸術的な像形イメージを表す仏像を造像して、その仏像の像形に託して、仏教の教義の真理を民衆に伝える伝播方法も価値があって正しいのである。要するに、目的が正しくて、その目的に到達する方法が正しければ、どんな願い事でも自然に叶う筈なのである

佛教の持つ本質的な特殊で得意な技能を含めた「本業」とは、美学を打ち立てる為に必要な特殊な審美感と才能とには全く無関係であるが修行時に自身の心の内には一方で審美的な感覚を持っていながら一方では仏教の教義の法(道徳・真理)を探求する為に修業中でも悟りが得られない焦燥感で心が苦しみ悶えている時に何とは無しに自身の心の内側に持っている「審美的な感覚」と「教義の真理を探究する過程における心情的な苦しみと悶え」とがぴったりと符合して一体化した時に、「限りなく美しく満たされている」と感じるのに似ている感覚である;その感覚は、「痺れる様な歓喜と恍惚感」によって、我自身の存在が消失してしまい、只、唯一、「痺れる様な歓喜と恍惚感」のみが空中に漂っている心的状態...

自身は完全に消失し、この地上に「完全な一物体としては存在せず」に、只唯一「空」が有り、只唯一「空」となって存在し、空中に漂っているのみ...

外界のどんな物音もこの感覚とは関係が無く、山は、只、山として存在しており、水は、只、水として存在している;外界に存在する物体や、「色」に執着する者は、皆、泥色と同じ「醜いもの」に過ぎず「醜」、もまた、「虚」ではあるまいか...

2. 西方から中国に仏教伝来以後の中国民衆への布教活動と仏教芸術の盛衰・変遷の相互関係についての略説


(1) 仏教の教義と審美感とに共有される哲学的な諸要素について--苦しみからの解脱方法を中心に

中国における仏教は、「東漢」明帝時代にインドから直接伝えられたと言う。「東漢」末年は中国歴史上戦乱が最も頻繁に発生した時で、一般民衆は塗炭の苦しみを味わう生活を送っていた。けれども、その時期は、近い将来、中国文化が第二度目の、しも、最高に絢爛に花開く時期が幕を開ける前夜の暗い時期だった。南北朝時代は、儒・釈・道の三つの哲理と真理の教えが混在して共存しており、魏・晋の支配下にあった中国社会に生きていた民衆の精神的な面を支えて、中国文化を最も高く光り輝かせた時期であったと言っても過言ではない。儒・釈・道の三つの哲理と真理に基づいた中華の思想文化は中国社会で共存し支え合って、民衆と共に南北時代の中国の伝統文化にダイナミックさを与えた。そして、長期的には、中国人と中国社会に、内面的な精神的な重みと意義を与えたのである。

佛教の元祖は釈迦牟尼である。人間が生命の為に生き苦しみや病気や死等から受ける人生に対する悲痛な絶望感に対して、仏教の教えは人間に、苦しみから自らを解き放つ事が出来る様な精神的な支えと強さを示してくれる。苦しみから解脱する主な方法とは、仏教の教えに依れば、以下の四つである:1.「目の前で起こっている物事には、『縁起・原因あって結果あり』の説明だけでは空しくて意味がない」、2.「人間は四種類の異なる諦観を持つべきだ」、3.「十二種類の因縁について正しく知っているべきだ」、4.「『極端さを選ばず、中道を選べば事は成就するか、それとも、収まる』とは、けだし名言で真実を突いている」、等々の、自らを苦しみから精神的に解脱させるのを援ける、主な「四つの苦しみからの解脱法」を人々に提示する。

水月観音坐像 / 宋代 / 木 / H / 40c

また、仏教の教えは、(a)「この社会のみならず、現在、我々が生きている世界全体で起こっている事の一切は、全て「幻惑であり、真実ではない」。何でも(b)「(...+事)」とは、人が一旦そう願えば、或いは、そう願っている事を実現させたいという意思を持ちさえすれば、結果、(c)「その願っている事を実現させられる様にと、正しく行動しさえすれば」、(d)願い事とは、実際にそう思っている通りに自然に成就するように無理なく実現するのであるのだ、と唱える。これらの思考と行動を起こす事に直接関係のある語句は、「成る」、「住む=生きる」、「空しい」、「人」、の四語である。全ての思考と行動にはこの四語の内のどれかの語が必ず関わっているからである。

自分を自らの妄想と執念から解き放つ為には、菩提に向かって涅槃を願って訴えるだけでは事を為す事は出来ない。ただ、五蘊六塵の自分をしっかりと束縛している状態と源を、強い精神力で超越する事である。自らの心の中に「三種類の毒」が入っているなら、その毒を自らの努力と集中力で超越出来る様に覚悟して人生という名の道を歩み続ける事である。

この種の内面的な反省は、人生の無常と生命の有限さと「苦、空、漢」の思考を我々人間に会得させる。本性と「美」の本質とは、相互に対応する観念である。現実の世界では人の美観を左右して動かすのは、仏教の見地から説明すれば、「色」に属する概念であり、全ての法(ことわり)とは、因縁から生じるのであり、因縁によって消滅する。『御仏説常経』に基づけば、「(物事も物体も人間も)表面は彩られて光彩を放ってはいても、脆くも破壊に帰するが如くで(表裏は必ずしも一体ではないのが世の常で)あるので、内心では衰え変化するのも、また同然だ」なのである。この種

の虚しい幻を、「現実的な世間と言う器ではない」と看做す概念も、また、夢や幻の泡や影と同じ類のもので、露の如く、或いは、電気の如く、直ぐに消滅するものである。そうなのだから、「色とは、即ち空である」と言えるし、そうなれば、当然、「美」の本質と概念も例外ではあるまい。

(2) 仏教の美的感覚に対する観点について

ここでは、仏教のこの世における美的感覚に対する態度は、明白に否定的である事が明白であるが、但し、我々が、かつて昔、人の力で開鑿された石窟の中に、後世の我々の為にと遺留して置いてくれた彫塑したり彫刻したりして造像した仏像群や、壁画を含む絵画類や、佛教建築等を見れば、見た者にとっては、時空を超えた何かによって錯覚した様な異様な感じを受けて、何かに迷うかの様な惑乱の思いと矛盾を感覚的に呼び覚まされた結果、感動して興奮するのを禁じ得ない。これ等の造像仏像類が漂わせている芸術性が自然に備えている美的感覚とは、見る者にこの様な感動を呼び起こして興奮させる様な、人間の持つ美的感覚の琴線に触れて感動を呼び起こして興奮させる作用があるものだと指摘している。

其の為、芸術性が備え持っている美的感覚とは、例えば「賢者ならば水中に月を見ても、鏡の中に月を見たかの如く、感動もせずただ「水の中に月が出ている」と客観的に把握するのみであったり、焔が熱ければ大声で叫んでも、ただ声だけが周囲に響き渡るだけで、見た者にどんな心的反応も起こさせなかったり、或いは、空に月を見たならば、感動もせず水が飛び散って飛沫が散る如くだと感じるだけだったり、という様な、見る者に何の感動も起こさせないなら、その「物体」は芸術性の持つ美的感覚を備えてはいないのである。」以上は、『維摩詰(ウエイマキツ)説話経典』から引用した部分である。芸術性が備え持つ美的感覚とは、見た者に感動を与える本性を持っているという事をウェーマキツは指摘しているのだが、彼の指摘している芸術性が備えて持っている美的感覚とはどんな感覚なのか、の答としては「虚言不実」が表現する意味であろうか?

(3)「美しい物」を含めた事物とは、実在しているや、否やの題目に対する仏教界の観点について――「空(くう)」の概念を中心に

仏教は、「縁起論」から説き起こして、「物事・事象・物体」とは「虚妄」であり「真実ではない」のが本質である、とその論を提示している。「但し、同時に現象界における物事とは、存在しており、而して事実である」と認めており、これを、所謂「妙」で表現する。この「ある一弁証的な論点」とは、仏教の典籍内では、「色とは『空(くう)』であり、『空』とは色である。色は『空』とは異なり、『空』は色とは異なる。それを受けて行動するが良いのか、或いは、それを受けずに再び繰り返して行動するのが良いのか」の概念上の対句を成す質疑応答形式に基づいた問題に関して、仏法界では、不断に反覆され、議論されている。

「事物は虚構で幻であり、実在しない」と言う事は、相対する事物が存在している故に定められる事である。もし、事物の存在が抹殺されたならば、当然、事物は虚構で幻であり、実在しないのが本質である。事物の形状や質が同質であるという、形や性質の面を表す「相」の概念を用いて示せば、もし、「相」が存在しなければ、この視点からは何も提起する事は出来ないのである。その理由に依って、仏教の芸術に対する観点が理解出来る筈である。関連して、「美を破る」という意味は、「美とは空である」と表現する事と同じ事を意味している。「美に執着して拘る」事は明らかに見識高い事であると言っても、仏教の見地から「美とは空である」という見方も同じ様に廃棄し捨て去られるべき観点であり、「空に滞っている心的な状態」に惑わされる状態に陥ってはならない。

同様に、「有る」という概念も愚かな妄想である。それで、「美しくは無い」の否定に対して、実質的には、「心が和らぎ喜ぶ事」とは「美が存在する」事を肯定する事である。『金剛経』曰く: それ故、「当然得ないからこそ法(道徳・真理)に合っており、当然得る事が法に合っていないのではない」のである。これは「義」の故であり、もし、そのように義に基づいて話すのが汝の常であるならば、汝も比丘に等しく私の説法が言わんとしている意味が分かるであろうが、もし、筏に喩えて「固定観念ではない」と主張する者がいれば、その者は、当然、法(道徳・真理)を捨てるべきであり、どんな状況にあっても法に従わないという事をしてはならないのである。」

「空(くう)」の概念への執着と執着する心を持つと言う事に対しては、どちらも眼は幻影を見ていると同じで光明を見る事が出来ないのである。この点について、『中論』も以下の如く言っている: 「因縁が生じさせた法(道徳・真理)では、私が説法している事が即ち「空(くう)」であるのだが、それは仮の名を用いた表現法であって、実はこの概念は「道義」の内側に存在しているのである。」この種の「我が執着し拘っているのは、法(ことわり)に執着して拘っているからである」の観念を破って除いた後で、初めて執着し拘る事物も事象もない「空(くう)の境界」に一歩入る事が出来るのである。無形の中にこそ、仏教の唱える特殊な美学に対する観点が形成されるのであるし、その観点が、又、「美が実在しない空間であるからこそ、反って真実の美が実在出来る」という仏教の観点である。「相」が実在しない空間には、真実は本当の「相」が実在するのである。心を融かせれば、全ての「もの」を有する事が出来て、審象において心は浄化されるのである。芸術が備え持っている虚構と幻想を把握する方法としての弁証の探究の道において、芸術的な清涼な御仏の浄土を訪ね探す事が出来る。それで、光明を探究する為に必要な厳しい自重心を持って、仏像を彫塑したり、絵画の中で、「三十二面相」や「八十種類の随形」を用いたりして、自身が探究している目的を達成する為に自身の美的感覚と御仏像に対するイメージを実際の仏像として具現化しても構わないのである。

仏教の経典の中に描写されている御仏の天国にある極楽浄土にあると記述されている「七寶の池」や「黄金の池」等を絵画の中で描けば、無言の内に民衆に伝えたい仏教の教えを伝える事が出来るし、相当多数の語句を用いて、仏教文学を生み出す事も出来るのである。既成の美の概念を破って、仏教による美学や芸術を打ち立てる心構えに執心しながら集中して、虚構と幻想を表している事物を通して、事物が合わせ持っている「真実の事物は実在せずの負の面」の透析を通して浄負して清めれば、我々は事物の本質を把握する事が出来るのである。それが出来て、実際の像形として、又は、絵画として、具現化させれば、苦難の中で生きている人類に、芸術作品を鑑賞させる事によって人生と生命に対する期待と依頼心を与える事が出来るであろう。

『青原惟信禅師語録』の中の、美術学者が不断に引用する著作中の一段を引用すれば、次の通りである: 「老僧が三十年前に禅寺に来た時に周囲の自然を見たら、山は山と見え、川は川と見えただけであったが、仏教の法(道徳・真理)に関する知識を修めた後、ある場所に入って山や川のある自然の風景を見たら、山は単に山ではなく、川も単に川ではなかった。法を通して会得した知識に依って、今、心の眼で同じ対象物を捕えても、人が暫時休憩して心安らかな平静心で、山も川も謹んで眺める対象物である事を理解した後では、山を謹んで山と心で感じ、川もまた謹んで川だと心で感じられて感謝する対象の事物だと把握出来るのである。

3. 結び

佛教の得意とする本業は、美術学を打ち立てる事ではなくて、仏法の修行中の過程において、修行の苦しみと審美感覚との互いの節がぴったりと符号して、両者の感覚が相似している一体感を得る事によって、両者に共通するものがあると悟る事である。

この悟りは、外界の声音とは無関係であり、山は山であり川は川であるが、「色」に執着する者は、すなわち醜い泥の色になる点である。人生行路とは、畢竟、この様な一種の悟りを探究し追及しながら無心に歩み続ける事と同じであり、何事かに執着心があれば無に帰してしまい、自然で明らかな状態を無理なくそうだと知る事さえできない。「我独り高楼に上り、果てしない程遠い天涯への道を断つのを望む」とは、正にこの状態であり、各地で悟りを求めて探した痕跡さえ跡形も無くなって、当然、馬の踵を返して即刻帰途につかねばならない。そして、今日は昨日とは既に異なっている事実をしみじみと感じても、全ては物や誰の所為でもなく、又、己が至らなかった所為でもなく、「山は山に非ず、川は川に非ず」の状態に還っただけなので、一旦、峰を回って道を曲がれば真相を透視できて、出発点に戻れば全て何事も無いとは言っても、深く反省せねばなるまいと直観するのである。

この種の生命の大いなる美は、真実、理に適って理を透析した趣があり、悟りに徹した者は、言葉でそれを他の者に表明せねばなるまい。美しい物が美しいのは、内に美を備えている故美しいのであり、単に客観的に存在しているだけでも、美は変わらない。すなわち、美が美である状態にいつまでも滞れないなら、真実の美ではないのである。美を追求する者は、自分自身が探究し続けている「美の真実の相」を超越して、美のイメージを形成する表象に直接相対さねばならない。美の概念が隠し持っている意義が、行為の主体者自らを「距離計測器」にさせない様に悟らせるであろう。

それで、仏教の美に対する態度が、美の隠れ持つ概念と存在を不断に超越する態度によって、実際は美の存在を肯定し続けているのを知っている。この種の美しく見えるという、表面的な「相」で以って、それが美であるのではなくて、美に対する思考が滞らずに、不断に続いて行く態度が、仏教の美に対する積極的な態度であると説明出来る。その為、歴代、仏陀を慕う心が造像する事に対して、荘厳な道場者の勝負の勝数を敬うのと同じ様に、中国南朝における仏教の盛んな有様を、「唐」の杜牧が「江南春」の詩の中で、「南朝には四百八十寺もの寺が建立されていたが、それ等の寺院は戦乱で破壊されてしまったので、現在、どれほどの寺院の楼台が霧雨の様な細かい雨に濡れながら無言で佇んでいる事であろうか」と、「梁」の盛大さを誇った仏教寺院が、梁末期の戦乱期に破壊され荒廃した仏教寺院の跡を弔っているが、この詩には戦乱を受けて寺院は破壊されても、仏教に対する真摯な信仰は滅びないという念も間接的に表現されている。

関連して、『佛影銘』の中で、著者の謝霊運は、「梁」時期に「蘆山」に住んでいた高僧慧遠が造像した仏像について以下の様に称賛する: 前世代から遺留された気風を推し量って良き風格を継承しつつも、精彩を放つ独自の像形を表現する造像仏像に寄託して、恰も像形に仏教への信仰心の熱心な真摯さを込めて、その熱心な信仰心を他の人々に伝えている心意気は深き信仰心の極みであるかな」と記述している。また、「梁」時期の釈慧皎撰の『高僧傳』に依れば、「聖人の仏教の教義に対する知識と物事を処する資質は霊妙であり、その寂たる瞑想の度合いは神に通じているかの様で、言語を借用して人々を仏の道へと手引きし、仏像という像形に託して真の仏道の教義を伝えている」の記載によって、仏像を造像する仏教芸術活動とは、御仏の道に民衆を導く正しい伝播方法の一つであると見做している事が分かる。

仏教芸術とは、当初は仏教の教えを民衆の間に広く伝播する為の必要性から出発したが、制作者の審美感や心の中にある美への探究心が反射された結果を、彫塑、或いは、彫刻によって造像された仏像の沈思静寂に思考する姿態・御姿、慈悲・安詳の心情に満ちた仏像の「法(道徳・真理)相」上に顕著に現われているのを認めると、無形なものを通して我々見る者の心を深沈で無辺な寂然へと招き入れてくれる。すると、心身は直ちに安心感を得られて御仏の慈悲心を体得すると、俗縁を絶って自らが菩薩として生きていきたいと願う気持ちが強くなる。

佛教は義理的な形態として「美」の概念を肯定する立場を取っている為に、学説中では美学に対する豊かな造詣の深さを含んでいる事にも気付かない事が多い。仏法とは人の心に訴えて心の変化を起こさせる動機に関わっている「心的芸術」であり、それは「三界には、只、心有るのみ、全ての法(道徳・真理)には、只、「悟」が有るのみ」で以って表現出来る「悟」が「只一つの源泉」である。芸術作品等を具現化して世に出す動機や像形のイメージを創作する為の審美感や創造意欲を含んだ制作活動等の一切を造り出す『心の源』である」という、美学観を産み出したのである。

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